3月に
九州新幹線が全通。
北海道民として、敵情視察に乗り込むことに。
この当時は陸路は寸断していたので、
スカイマークで千歳から
中部国際空港へ。
名古屋からは新幹線で、一旦福山で下車し
尾道泊。翌日に広島~鹿児島と移動した。
この頃は毎日仕事で被災者の手続きを行っていたりして少し疲れていた。
西日本では
地震の影響がなく、人々も暗い顔をしておらず大分気がまぎれたものだ。
列車での移動だと勝手が違ってあまりまわれず、2局のみ。

▲260.
尾道郵便局
商店街の終わり、駅の近くの街中にあった。
海がすぐそばにあり、潮の香りのするところ。
町の大きさに比べ、古いが大きな郵便局だった。
261.
鹿児島中央郵便局(画像なし)
鹿児島中央駅の横。広島から新幹線で到着し訪問した。
中央郵便局は大きすぎてなぜかあまり行く機会がない。
ここがはじめての訪問で、その後もこれを書いている時点で他は訪れていない。

△
尾道の裏山から見下ろす
尾道水道。
ちなみにこのブログ、
尾道への
旅行記録からはじめました。以来7年ぶりの訪問。

△今回泊まった宿。山の中腹で街からは少し離れるが、
尾道の町を見下ろせてよい宿だった。

△
尾道名物の渡船。対岸
向島へ渡れる。

△かろうじて散らずに残っていたさくら。北海道ではまだ咲いてないので、この春初めての桜となる。

△さくら号
鹿児島中央行(広島駅)
新幹線で鹿児島までいけるとは時代は変わったものだ。
ただ引き換えに
ブルートレインが廃止になってしまったが。

△
鹿児島中央駅
前に来たときはまだ新幹線が来る前の
西鹿児島だった。随分綺麗になっていた。
学生時代に
周遊券を使ってここから何度も夜行に乗った。
九州内完結の門司行は熊本まわり、宮崎まわりとあったし、他に東京行、大阪行とあって、
ここが始発だったのだ。
駅横の飲み屋街は雰囲気が変わっておらずとても懐かしかった。
確か5分くらい歩いたところに銭湯があり、
鹿児島市内は温泉が沸くので市内の温泉は
殆どが温泉だったはず。よくそこで旅の汗を流した。
まだ
スーパー銭湯などというもののなかった頃のこと。

△
鹿児島本線の
普通列車
鹿児島からは在来線の
鹿児島本線で熊本訪問へ北上。
福岡近郊で使われていた車両が使われていたが、どうも気になるので調べたら、もともとは
我が
常磐線に、筑波万博の際に投入された編成が、
国鉄末期に一部福岡に移動させられたものと判明。
常磐線ではすでに廃車になっているので、こんなところで出会えるとは本当にうれしい。
懐かしさでいっぱいだ。

△
川内駅前のイタリアントマトに掲げられる名言
「人生は出会いであり、その招待は二度と繰り返されることはない」