郵便局めぐり(風景印と旅行貯金と旧線路情報)

郵便局と駅・廃線跡めぐり旅の記録です

2011年10月19日(水) サロマ湖周辺~湧別

3日目である。この日は網走に泊まり、日本一景色の雄大な路線とされた旧湧網(ゆうもう)線沿いを訪れ、 湧別で鳥の半身上げを食し、その後札幌まで戻った。 この頃は、北海道になじんできたころで、もう北海道を観光客の目ではなく、地元感覚で見るように なってきた頃であった。だが気分はまだよそ者感があって、関東からの観光客が好んで訪れる、 道東北をよく周った。釧路・網走・稚内とかは札幌の人間はほとんど行かない。 何かとてももったいない気がする。 今回の旅行を最後に、郵便局めぐりは一段落した。2012年2月に少し再開したものの その後1年くらいはほとんど活動らしきものはしなかった。 仕事でミスの指摘なんかが続き、気分も落ち込むことが多かった。 一種のホームシックであったのかも知れない。 Img_2015 ▲476. 常呂郵便局 網走に泊まり、30キロほど進んだ常呂よりスタート。 カーリングのメッカらしい。あとオホーツク文化常呂遺跡がある。 Img_2016 ▲477. 豊川郵便局 常呂川に沿って少し内陸に進んだところにあった。 愛知県の豊川とは特に関連はないらしい。 Img_2018 ▲478. 日吉簡易郵便局 写ってはいないが、冬に備えての薪が大量に準備されていた。 Img_2017 Img_2019 △道すがら、色づく木々 Img_2021 ▲479. 浜佐呂間郵便局 旧浜佐呂間駅の近く。ユースホステルなどもあり、湧網線があったころは観光地として賑わったようだが、 今は観光客は知床か、冬場は紋別・網走に向いてしまうようであまり人気がない。 湧網線の代行バス自体が利用客減少で廃止になってしまっている。 Img_2022 △貯金非取扱い・富武士(とっぷじ)簡易郵便局 漁協にしか見えないが、簡易郵便局が併設されている。 非取扱い局は江別工業団地内に続き2局目。衝撃を受ける。 Img_2023 ▲480. 佐呂間郵便局 佐呂間湖岸より10キロくらい内陸にあった。湧網線はこの辺では佐呂間湖岸を通らず 内陸側を通っていたようだ。町はそこそこ家が建っており、鉄道によって人が集まったのだろう。 Img_2024 ▲481. 若佐郵便局 佐呂間より南下し、北見と旭川を結ぶ国道333号線沿い。 この集落は、数年前に近くで竜巻被害があったところらしい。 Img_2025 ▲482. 若里簡易郵便局 わりと何もない、小さな集落にあった。 近くに駅があったようだが、跡形もないようだった。 Img_2026 ▲483. 計呂地(けろち)郵便局 佐久間・常呂・計呂地、と過去旅行記や鉄道関連の本の中で出会った地名が続々と登場。 もっと雄大な景色と思っていたが、意外と地味なような気がした。 このオホーツク海岸は稚内根室あたりとは違って、気候が意外と穏やかなようで最果て感はない。 それどころか、オホーツク海自体が世界の中心のような顔をして横たわっているのだ。 Img_2027 ▲484. 芭露(ばろう)郵便局 Img_2028 ▲485. 上芭露郵便局 Img_2034 ▲486. 登栄床(とえとこ)簡易郵便局 サロマ湖砂州上にある集落だが、おそらくホタテ漁用の港や加工施設があり人や家が多い。 心なしか家も立派なものが多く、それなりに収入になるのだろうか。 こんなところにそれなりの集落があるとは知らなかった。 映画も、人も、物語りも土地も、実際に見て知るまではわからないものである。 前知識で知ったつもりでいるのがもっとも性質が悪いものだ。 Img_2030 Img_2035砂州の先端の駐車場から、サロマ湖を望む Img_2037 ▲487. 湧別郵便局 旧湧別町の中心。名寄本線の支線の終端だった。忘れ去られたような、海辺の古い町。 Img_2038 ▲488. 中湧別郵便局 Img_2039 ▲489. 上湧別郵便局 ※490. 開盛郵便局は画像忘れ この日は以上。