旭川・永山近辺
帰り道、永山へ寄る。ここも屯田兵村が置かれていた場所。
上川総合振興局(支庁)は旭川でなく、この永山に置かれている。
北海道の米作りの中心地らしい。明治政府は北海道農業は畑作で進める意向だったようだが、
農家は執拗に米作りにチャレンジしたようで、「上川百万石」と自負しているようだ。
小学校のときに、ここの学校へ郷土研究部の部員代表として手紙を書いた事がある。
冬場は気温が0度になるとみな温かいといって外で遊ぶのだ、とか返事がきた。
なんのやせ我慢なのか?と思ったが、冬の北海道で0度ってのは確かにあったかいのだ。
その時、冬の校庭で子供たちが遊んでいる光景を思い描いていたのだが、
校舎の形なんか、意外にも想像通りでびっくりだ。
高速もんべつ号・旭川経由便で帰宅。