郵便局めぐり(風景印と旅行貯金と旧線路情報)

郵便局と駅・廃線跡めぐり旅の記録です

郵便局めぐり・まとめ/通帳ゴム印 3冊目・411局~597局

通帳三冊目。2011年7月15日~2012年12月18日。 自 東月寒~ 至 かつらぎ笠田(和歌山) 通帳作成はいつのも白石本郷、繰越は橋本三石台(和歌山)。 通帳繰越を道外で行ったのは、今のところこの時のみである。

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関係ないのですが、少し当時のことを書きます。 2011年、東日本の震災の後でしたが、被災した方への特別対応が発生しました。 利用者の料金の減免や、行方不明・消息つかない方などへの対応ですね。 非常にアナログな作業で、1件1件料金を書き出してエクセルに金額を入力するもので、 備考欄に記載する内容がなかなか、思い出すのも・・な精神的に厳しい作業でした。 業務の性質上特別なシステムなどなくそのため連日残業、終電どころか深夜2~3時まで毎日。 しかもそれが影響力の大きい方のプロジェクトでちょっとでもミスがあると大変で、 だから誰もかかわりたがらないもので、一人で片付けるしかなかった。 (気は使ってくれましたが、それより手伝ってほしかった・・) 関東や東北で、渦中の人たちがたくさんいるのだ、自分だけ遠くでしらんぷりより 自分に出来ることをやろう、とか余計な気負いもあって。 そんな中体調を崩して休んだところ、同僚(先輩)から「もうこないと思った」など言われ、 ショックだったのですが平気なふりしていたら、なんだか調子がおかしい。 何を見ても何を食べても感情が湧いてこなくなった。 これがうつってやつなんでしょうか。灰色の世界でしたね。 仕事の上でも私生活でも色々あって、通帳も引き出しが多くあり(画像からは消してあります)、 大変だったなあ、と振り返りながら・・。 当時42歳、厄年って確かにありますね。冒険せず、守りに入るべき時期だと思います。 24-10-01にはこの通帳の残は2円。とある理由があってこの状況。 負けたくないって気持ちがなぜか起こって、続けました。 普段は最後のページまで使うのですが、 この時はさすがに引きずれなくて、すぐ新しい通帳にしてもらいました。 きれいに斜線を引いてくれ、丁寧に通帳を繰り越してくれました、和歌山の橋本三石台局。 この作業も局員さんによって扱いが違って楽しみだったりします。 この通帳、見て感じるところがあったみたいで、他にも大事に扱ってくれたり、 「これ使ってください」と暑い日、ウェットティッシュをいただいたりとあって、 人っていろいろだ、けど捨てたものでないとかね、そんなことを。