また4年前の記録です。最初、札幌に来たときの旅をトレースする旅。
本来、この趣味は一期一会・同じ局に2回、3回とは訪問しないが、
あの頃行ったあそこはどんなところだったかな、と、北海道離れたら
なかなかこれないから、と再訪の旅となった。
でも久しぶりに訪問すると、前にお会いした方が変わらず元気にされていたり、
あの頃と変わらない景色に随分と元気をもらえた。
北海道だと同じ人に再会する可能性って東京などより高い気がする。
まして道東の方なんか、同じ人しかいないって感じで。
数年おきに戻っていると、もう一つのふるさとって感じ。
ここが地元だったら離れられないんだろうな。
▲(北海道/全国・61局) 陸別郵便局
局番:92017 1910(明治43)年9月22日開設 ※「淕別」より1949年改称
池北線~ちほく高原鉄道の陸別駅の駅前。
ちほく高原鉄道は2007年に赤字が嵩み廃止に。
しかし陸別町は最後まで反対していて、陸別駅は「りくべつ鉄道」として
車両も含めてきれいに残されている。
池北線はもとは網走本線として、北見~網走へ初めて到達した路線で、
そのため陸別駅は北見より早く営業開始(1919(明治43)年)している。
日本一寒い町の一つだが、条件の悪い十勝の山奥にしては早く明治から開拓が始まっている。
▲(北海道/全国・60局) 斗満(とまむ)簡易郵便局
局番:91755 1928(昭和3)年5月16日「苫務(とまむ)」郵便局、
2005(平成17)年4月4日に簡易局へ種別変更、局名も変更。
石勝線沿いのリゾートの「トマム」とは別の場所だが、語源はおそらく同じで
「湿地」というアイヌ語らしい。山奥ながら開けた明るい土地なところは共通。
漢字の「苫務」「斗満」共に地図に存在するが、関係性は不明。
石勝線の方は漢字だと「苫鵡」になる。
千葉・東金で生まれ、佐倉で医術を学び徳島で貧乏人相手の医者になって、
戊辰戦争で幕府側(奥羽越列藩同盟)の軍医となり、最後は北海道・陸別の開拓に身を投じたが
自らの志を理解しない息子と遺産のことで揉めてしまい、悲しみの中80にしてここで自害。
北海道は薩長=明治維新政府が開拓進めた土地なので、旧幕府方の人々は見せしめのように
北海道へ流れて来たんだろうなあ。
あの頃、幕府方についた人たちはなんだか人間くさい気がして、もっとよく知りたいなんて思うのですが、
北海道的に「不都合な真実」であるのかもなんて、ちょっとね。
▲(北海道/全国・59局) 大誉地(およち)郵便局
局番:91024 1918(大正7)年3月6日開設
足寄~陸別間の集落。意外と大きな局舎。
▲(北海道/全国・58局) 上利別(かみとしべつ)郵便局
局番:91033 1928(昭和3)年8月1日開設
ここも池北線の駅のあった集落。
▲(北海道/全国・308局) 本岐(ほんき)郵便局
局番:99065 1919(大正8)年5月1日開設
陸別からの道を進み、ここで十勝からオホーツクエリアへ。
旧相生線沿い。
▲(北海道/全国・307局) 津別郵便局
局番:99044 1912(大正元)年8月1日開設
隣の木がすでに黄色く色づき始めてますね。
相生線沿線で一番大きかった町です。
▲(北海道・1291局/全国・1398局) 津別豊永(とよなが)簡易郵便局
局番:99750 1972(昭和47)年1月5日開設
津別の町から少し山の方へ行ったところにありました。
オーロラ、銀河の森天文台
大誉地
サイロ、牛と牧場
上利別
白糸の滝、牧場風景、雌阿寒岳・阿寒富士。
本岐
チミケップ湖、大一文字蝶。
津別