11月、神奈川に帰って最初に行った天浜線(旧・国鉄二俣線)の沿線。あまりにも変わらない風情。それで今度は12月改めて乗りに行った。ざっと乗りとおしただけだったがとても楽しく、もう一度行こうとずっと思っていたところ、あるイラストレーターさんがこの線の駅を取りあえげてくださっていた。
今度はクルマで各駅の写真を撮りたいと思っていたところだった。
とりあえず、12月の時の旅の記録。
天浜線フリーきっぷ、1750円。
遠州森駅。交換駅の大半はこうして駅員さんがいました。昼間だけの委託なんだと思います。天竜浜名湖鉄道に転換されるまで、二俣線はタブレットだったので交換駅には必ず駅員がいましたのでその名残りかもです。
国鉄タイプの駅名表があるが、天竜浜名湖鉄道になる際に駅名をたくさん変更しておりその際に作成されたものも多い。漢字とひらがなの順番が逆バージョン。
鉄道の方同士の話している光景。二俣線では昔からこうだったが、今は列車はワンマン、駅は無人が多いのでこんなローカルな駅でのシーンはすっかり見なくなった気がします。
天竜二俣。昔は遠江二俣、二俣線の途中の中心駅。ここも全然変わらないです。
JR東海は駅をどんどん改築しているので、その中でここが残っているのはとても幸せなことです。
国鉄標準(北海道型?)の駅名票。
二俣線が廃止になるときに連れてこられた20系客車(ブルートレイン)とキハ20。
ちょっとぼろぼろですが、足場が組まれて再塗装中。
お隣の二俣新町。学ランの高校生で鈴なりだったのだが、今は昔。
天竜川。二俣線は戦時中、東海道線の弁天橋のところが敵に狙われた時の迂回路として建設された。なのでこの橋は路線で最重要な橋。
この駅名票は国鉄時代のもの。隣のフルーツパークの駅名だけ換えられてます。
タラコ色のキハ20が走ってきそうな錯覚が。
後半は奥浜名湖がちらちら見えます。
孫を抱いた年配のおじさんが、すごいテンションで手を振ってくれてました。
JRになった際に、JRに転換した区間は一斉に新タイプに交換されてしまって、かろうじて二俣線のが残った格好。明智鉄道や樽見鉄道、長良川鉄道あたりには残ってる可能性ありですが、どうだったかもう忘れました。確認しに行かねば。
三ケ日。東名のインターがありますが、駅は昔からこのままです。
この線初めてのったのは確か小学4年か5年頃。8月の暑い土曜の昼下がり、キハ20は当然非冷房でした。東海道線の111系も非冷房ばっかりでしたし、飯田線の119系もこの頃は冷房付いてなかった。なので同行してくれた叔父さんは暑い暑いとビールずっと飲んでました。
昔は豊橋まで一日数本乗り入れており、今でも豊橋駅に専用ホームの残骸が残ってます。はずれの方で、清水港線の清水駅にちょっと似てたかもしれません。