そろそろネタが最近のものばかりになってしまったので、昔話を度々交えようかと。
札幌時代のこと。12月、ながい冬に突入するこの時期は苦手であった。
夜がひたすらに長いこと、雪で外で活動できないこと。
でも実際関東に戻ってみたら、夜の長さそこまでは変わらないので、外に出れないストレスが大きかったのかなと思います。
急行はまなす用の車両。
半年以上たってもそのままおいてありました。
その後東武鉄道行きとなった車両と思います。
1月に入ると少しづつ日が伸びてくるのでつらさも和らいでくるのですが、この時期は身体が慣れないんですよね。実際転倒して搬送される人の数も1月~3月の3倍くらいに上るそうです。
光熱費もかかるし、年末年始は周りがみんな地元帰ったり、家族で楽しんだりするので(北海道の人はそういう時間とても大切にします)さすがにマイペースな私でも辛かったな。ボーナス貰って多少遊べるお金とかあればよかったもですが、非正規の私にはそのようなものはなく。ひたすら薄暗い部屋で、ハイボールやら焼酎やらでやり過ごしてました。
毎年来年はもう少し何とかするぞ、と思ってやってましたが、何ともならなかった。
まあでも、札幌に住んでみたかったのは本当なので、自分で思ったとおりのことやれたのはよかったです。それまで周囲の期待にそってなんとなく進んできただけの人生で、自分で腹くくってやることがありませんでした。
人から言われた事をやる、何となく汲み取ってやるということではなく、自分で決めて自分やろうと思ってやる。その結果はどうなったとしても自分に言い訳ができません。なかなか地獄です。ただそのほうが大変なのですが、そういう風にすると足を引っ張り始める人がいます。あれは何なんだろう。まあ判らないではないでないのだけど。
私の場合はうまく行きませんでしたので、やめとけ、と善意もあったのかもしれませんけど、背中押してあげられる人に自分はなりたいなあ。そう思えただけでよかったのかな。