さらに石狩北部へ。この日で石狩市は完訪。
自治体ごとに全局制覇したのはこれが初めてです。
▲85. 望来(もうらい)(2014年1月15日再訪)
ここから旧・厚田村。石狩の方から来ると真っ直ぐな下り坂を下ったところ。
北海道らしいスケールの大きな景色が広がるところです。不思議な地名。
▲86. 弁華別(べんけべつ)(2010年9月10日再訪)
当別から山の方に入ったところ。かつてはこのあたり、当別町営軌道が山の中へ延びてました。戦後になってはじめて開拓されたエリアで、その時点まで放置されていた土地というのは条件がかなり悪いところ。青山中央というところまで延びてた見たいですが、今はほとんど人跡未踏です。
戦後開拓というのはかなり黒い歴史だと思います。
▲87. 厚田(2014年1月15日再訪)
厚田村の中心。1874年開局の古い局。この時期に江戸から難を逃れてこの辺に住みついた人たちがいたようです。逃げてきたとはいえ、ここでの暮らしは相当大変だったろうと思います。
▲88. 柏木簡易(2014年7月10日再訪)
旧・浜益村へ入ります。この辺が浜益の中心で滝川からの国道がここで交わります。
今は日本海側を連なる国道・オロロンラインがありますが、長いこと陸の孤島みたいなところだったようです。昔はここに来るには小樽からの船便が週1便だけだったようです。実際小樽からこの辺は海を隔ててよく見えます。
▲89. 浜益(2014年7月10日再訪)
浜益村の中心の郵便局。村の中心からは少し北の方になります。
局舎は立派なコンクリ造り。郵便局は1875年開設と、ここも相当古いです。
北海道の往来が船しかなかったころは、重要な寄港地だったのでしょう。
▲90. 幌(ぽろ)(2014年7月10日再訪)
ホロでなく「ポロ」と読みます。札幌と同じ読みなので不思議は無いですが、やっぱり不思議な地名。中央バスの札幌~浜益のバスがあったときはこの集落が終点でした。札浜線は数年前に廃止になってしまいました。
▲90. 雄冬(おふゆ)(2014年7月10日再訪)
浜益と増毛の中間地点の集落。陸の孤島として有名で、昭和の終わりの頃まで船でしか行けない集落でした。断崖が海に沈みこむところの間に人が住み着いてます。
ここも北前船の航行に欠かせない集落だったんでしょうね。開設は1899年。
この日はこれにて終了。この日は富良野・西達布の旅人宿に泊まりました。