郵便局めぐり(風景印と旅行貯金と旧線路情報)

郵便局と駅・廃線跡めぐり旅の記録です

2010.10.19 ② 宗谷岬~猿払・浜頓別

10年まえの道北旅行の続きです。はじめての宗谷岬。北海道にいる間を通して、ここまで足を延ばしたのはこの一回だけでした。

 

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樺太(サハリン)が見えました。普段は見えない事が多いと聞いてたので、こんなにくっきり見えるのは少し驚きでした。秋~冬しかみえないらしいです。約40キロだそうですが、最初にここ渡るのはすごい勇気だと思います。

 

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風が強くて、クルマの外には1分居れないほどの寒さ。
さてここからはオホーツク側に南下していきます。

 

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▲(北海道・214局/全国・219局)知来別郵便局

局番:99042 1912(大正元)年8月11日開設

ここから猿払村。宗谷岬を越えると、観光の人は稚内へ引き返すみたいで急に寂しい道になります。郵便局も風景印の設置なし。

 

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▲(北海道・215局/全国・220局)浜鬼志別郵便局

局番:99063 1918(大正7)年3月16日開設

猿払村の中心、鬼志別の海側の集落。ここも風景印なし。

ここら辺は10年前に一度来ただけなので、あまり記憶が定かでないです。

いつかこの道(国道242号)を稚内から根室まで一辺に通り抜けてみたいと思ってますが、思い立って早10年。いつになるのやら。

 

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▲(北海道・216局/全国・221局)猿払簡易郵便局

局番:99777 1994(平成6)年7月18日開設

※猿払郵便局(99031):1908(明治41年)2月1日~1994年6月25日

猿払の集落にある郵便局。天北線稚内から曲淵経由で山中を経由し、ここら辺から(まで)海沿いを行ってました。

 

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△猿払駅跡。1920年11月1日開業~1989年5月1日廃止。

今は転換バスのバス停になってます。

 

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天北線代行バスは、今でも鉄道代行として時刻が組まれていて、音威子府では宗谷線との接続がとられてます。

 

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▲(北海道・217局/全国・222局)浅茅野(あさちの)郵便局

局番:99076 1921(大正10)年2月26日開設

ここも天北線の駅のあった集落。

風景印:幻の魚、イトウ、カムイト沼

 

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▲(北海道・218局/全国・223局)頓別郵便局

局番:99039 1911(明治44)年4月26日開設

浜頓別からさらに海の方に行った漁港の周りの集落にあります。興浜北線にも頓別という仮乗降場がありましたがその近く。道東では珍しい古そうな漁村。江戸期から日本人がいた場所という気がしますがよくわかりません。

もともと明治初頭の時点で道東の網走、斜里へ向かうには海岸線を歩くか船しかなく、ここはそのルート上でした。あまり記録が無いのは、アイヌ人は文字を持たなかったことと、日本人も記録に残せない裏事情があったのではと思います。

風景印:毛ガニ、灯台、斜内山道、ホタテ貝

※ここから先は同じ年、2010/6/25の再訪、別の機会にまとめます。今回はここまで。

 

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秋のクッチャロ湖。秋は白鳥が次々シベリアからやってきます。