トンネルと鉄橋の連続、しかも急こう配の連続。
昔から、一体どんな人が作ろうと思ったんだろうと思ってました。
そんなことはとっくに忘れていました。
飯田線の測量技師として活躍、働いてためたお金でこの資料館を立てたのだそうです。
この人なしでは、飯田線は開通しなかっただろうと言われてます。
山岳で厳しい寒冷地というところは案外似ているのかもしれません。
なお川村カ子ト氏は、上川アイヌの名家の出身だそうで、変わった名前なのは出生届出した時にアイヌなので字が分からず(アイヌは無文字文化です)、言われるがままに届けられたためだったかな。親から譲り受けた名を大事にずっと使い続けてたみたいです。