2001年7月。名鉄三河線、竹鼻線と一緒に乗りに来た時の記録。奇跡的にHDDの底の方に眠ってました。廃止は2001年9月末でしたが、当時このレールバスは人気がなくて、同業者(鉄道ファン)の姿はほとんど見ませんでした。
1930年10月1日開業~2001年10月1日廃止
△兼山口~兼山間(と思います・レールバスからの後方展望、たぶん)
△ありし日の八百津駅
ちょっとおしゃれな駅で、町への玄関口といった感じ。近くの御嵩駅は同じ感じ残ってますが、ここは取り壊されて宅地になってしまってます。
△駅跡の碑
△八百津駅の付近(←2001年・2022年→)
右が現状。少し様子が判りにくいのですが、県道を斜めに横切ってるのが廃線跡。手前の三角の部分がかつての駅前広場。ここは町から離れて駅がありました。
△(←)中野駅 兼山駅(→)
列車の後部から撮影。ワンマンなので後方は車掌がおらず、特等席。
兼山駅のあとは今は「みんなの駅ひろば」として敷地が残ってるみたいです(駅舎はありません)。
△(←)兼山口駅 明智駅(→)
八百津線は全線5駅、延長7.3kwの短い路線でした。名鉄の支線ですが名古屋から犬山、明智と2回乗り換えないとこれない不便な路線でした。
この辺は元々木曽川が流れ、岐阜~長野を結ぶ中山道が通る交通の要衝だったみたいですが、中央本線が多治見経由で名古屋へ繋がってしまって幹線ルートから外れてしまったみたいです。それで広見線、八百津線が建設されたみたいです。
中央線にスルーされてしまったのは相当大きいでしょうね。こっち経由で中央線が建設されてたら、今の岐阜が名古屋に変わって発展してたのかもしれませんね。
△八百津の街中(←2001年・2022年→)
大きく変わってませんが、台風で被災した家が放置されてたり・・。
お金や人手が足りないんですよね、東京はどんどん立派になっていくのに(儲かってるのは一部企業だけって気もしますが)・・。
あと2001年の写真、色味がいいですね。解像度は低いんだけど・・。
このパワーショットはあまり売れてなかった記憶ですが、なんか良いんですよね。