2011年は本当によく北海道中をまわった。
この頃は、いずれ札幌を離れる日が来るだろう、という気持ちがあり、
早いうちに色々見ておきたかった。
でも気持ちは裏腹に、早く北海道を離れたかったし、心細い気持ちもあった。
複雑な気持ちを抱えながら、北海道中を回り続けていた。
▲274. 栗山郵便局
▲275. 栗山本町簡易郵便局
▲276. 角田郵便局
▲277. 川端郵便局
▲278. 石狩滝ノ上簡易郵便局
▲279. 紅葉山郵便局
▲280. 沼ノ沢郵便局
▲281. 清水沢郵便局
▲282. 夕張清稜郵便局
▲283. 夕張南清水沢郵便局
《284. 遠幌郵便局(画像なし)》
▲285. 南大夕張郵便局
▲286. 登川郵便局
△ 稲里簡易局の旧局舎
▲287. 稲里簡易郵便局
▲288. 富内郵便局
▲289. 穂別郵便局
△ 北炭新夕張坑口後
炭鉱事故のあった新夕張炭鉱。来る予定はなかったが、道に迷っているうちにたどり着いた。
炭鉱町というと古い炭住が立ち並んだ、雑然とした町並を想像していたが、
この炭鉱はビルド鉱といって効率の低い古い炭鉱を廃して、新しく効率のよい炭鉱として開発されたものらしい。
なので住宅や学校も鉄筋の立派なものが建っており、人がいないということが不思議な印象をうける。
建物がほとんど昭和50年前後のものなので、自分にとっては子供時代に戻ったような、
すごく懐かしい感じのする一帯だった。
実際この目で見ないとわからないことは多いものだ。
△炭鉱入り口の塔
「我が炭鉱をがっちり守ろう 出稼と保安と生産で」
今、日本中の産業が縮小・衰退の方向にあるが、夕張は30年も早くその渦中に身を置いていた。
生産性、効率をあまりに優先させすぎた挙句の最後。最先端といいながら、現場は劣悪な環境で、
そこで高いノルマが課せられていたらしい。
ここは生産性の高い、優秀な炭鉱でなければならなかったのだろう。
悲しいが、どうにも他人事には思われない。
△労働組合会館
建物が比較的あたらしいのか、よく残っている。
△旧富内線富内駅
旧国鉄富内線は、鵡川から日高町まで走っていた。
当初この富内までだったので、線名になったようだ。
隣の穂別が町の中心で富内は小さな集落にすぎないが、駅付近がよく保存されている。
△赤い閉塞機(タブレット)が置かれる
鉄道員(ぽっぽや)ロケの際に使われたものらしい。
雰囲気も幾寅駅に似ており、実はここを模してセットが作られたようにも感じる。
△信号機を動作させるためのワイヤ
積雪地ではこのように地面から離して設置されていた。現存するのが奇跡。
△土手に気持ちよさそうに咲いていた。
より大きな地図で 2011年5月9日 を表示