郵便局めぐり(風景印と旅行貯金と旧線路情報)

郵便局と駅・廃線跡めぐり旅の記録です

2011年5月9日(月) 栗山~夕張~富内

2011年は本当によく北海道中をまわった。 この頃は、いずれ札幌を離れる日が来るだろう、という気持ちがあり、 早いうちに色々見ておきたかった。 でも気持ちは裏腹に、早く北海道を離れたかったし、心細い気持ちもあった。 複雑な気持ちを抱えながら、北海道中を回り続けていた。 Img_1158 ▲274. 栗山郵便局 Img_1160 ▲275. 栗山本町簡易郵便局 Img_1162 ▲276. 角田郵便局 Img_1165 ▲277. 川端郵便局 Img_1167 ▲278. 石狩滝ノ上簡易郵便局 Img_1168 ▲279. 紅葉山郵便局 Img_1171 ▲280. 沼ノ沢郵便局 Img_1173 ▲281. 清水沢郵便局 Img_1177 ▲282. 夕張清稜郵便局 Img_1181 ▲283. 夕張南清水沢郵便局 《284. 遠幌郵便局(画像なし)》 Img_1182 ▲285. 南大夕張郵便局 Img_1185 ▲286. 登川郵便局 Img_1186 △ 稲里簡易局の旧局舎 Img_1188 ▲287. 稲里簡易郵便局 Img_1189 ▲288. 富内郵便局 Img_1208 ▲289. 穂別郵便局 Img_1174 △ 北炭新夕張坑口後 炭鉱事故のあった新夕張炭鉱。来る予定はなかったが、道に迷っているうちにたどり着いた。 炭鉱町というと古い炭住が立ち並んだ、雑然とした町並を想像していたが、 この炭鉱はビルド鉱といって効率の低い古い炭鉱を廃して、新しく効率のよい炭鉱として開発されたものらしい。 なので住宅や学校も鉄筋の立派なものが建っており、人がいないということが不思議な印象をうける。 建物がほとんど昭和50年前後のものなので、自分にとっては子供時代に戻ったような、 すごく懐かしい感じのする一帯だった。 実際この目で見ないとわからないことは多いものだ。 Img_1175 △炭鉱入り口の塔 「我が炭鉱をがっちり守ろう 出稼と保安と生産で」 今、日本中の産業が縮小・衰退の方向にあるが、夕張は30年も早くその渦中に身を置いていた。 生産性、効率をあまりに優先させすぎた挙句の最後。最先端といいながら、現場は劣悪な環境で、 そこで高いノルマが課せられていたらしい。 ここは生産性の高い、優秀な炭鉱でなければならなかったのだろう。 悲しいが、どうにも他人事には思われない。 Img_1179労働組合会館 建物が比較的あたらしいのか、よく残っている。 Img_1191 △旧富内線富内駅 旧国鉄富内線は、鵡川から日高町まで走っていた。 当初この富内までだったので、線名になったようだ。 隣の穂別が町の中心で富内は小さな集落にすぎないが、駅付近がよく保存されている。 Img_1192 Img_1193 △赤い閉塞機(タブレット)が置かれる 鉄道員(ぽっぽや)ロケの際に使われたものらしい。 雰囲気も幾寅駅に似ており、実はここを模してセットが作られたようにも感じる。 Img_1196 Img_1199 Img_1200 △信号機を動作させるためのワイヤ   積雪地ではこのように地面から離して設置されていた。現存するのが奇跡。 Img_1205 △土手に気持ちよさそうに咲いていた。
より大きな地図で 2011年5月9日 を表示