郵便局めぐり(風景印と旅行貯金と旧線路情報)

郵便局と駅・廃線跡めぐり旅の記録です

2021.06.21 横浜篠原と川崎・登戸駅前

今日は久々に地元。最近、小型印おいかけるのに精一杯。

本当は近くの郵便局尋ねて歩くのが好きです。近くの知らない場所とか。

横浜はあと港北、緑、都築、青葉の4区。涼しくなってきたしそろそろ再開したい。

 

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▲(横浜・247局/神奈川・419局/全国・2424局)横浜篠原郵便局

局番:02626 1975(昭和50)年11月16日開設

新横浜の裏口みたいな篠原口にありました。この辺は昭和50年頃は何も無いところで、目の前の道路は抜け道だったと思います。

 

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△2021/7/19~の移転先。新横浜駅のすぐ裏手。

 

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▲(川崎・28局/神奈川・418局/全国・2423局)登戸駅前郵便局

局番:02457 1964(昭和39)年5月16日開設

 

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※2019年6月3日移転、2021年7月12日再移転

 

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△新しい移転先。

川崎のこの辺は少し前の不動産ブームでマンション・タワマンがたくさん立った地域。

少し前までは区画整理されてなくて駅の近くは古いアパートが立ち並ぶエリア。垢抜けない川崎が、最近急におしゃれに変わってきました。川崎は庶民的な町並みで住みやすい地域が売りだったんですけどね。

2019.09.27 【道南】奥尻~江差~厚沢部

次の日、奥尻に泊まり島を回り、江差から帰路・寄り道しながら。

2年前、前のブログに載せており再掲。ちょうどいい感じに懐かしいです。

 

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△宿からの眺め。離島の宿って、自分の部屋なところが多くて落ち着きます。

御宿きくちさん。

 

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▲(北海道・1512局/全国・1795局)①宮津簡易郵便局

局番:95703 2016(平成24)年6月16日開設

ここは局の場所が移動し、同時に普通局から簡易局に。

 

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△旧・宮津局跡地 衛星のアンテナが建ってるあたりが局があった所

局番:95014 1935(昭和10)年2月6日~2014(平成26)年6月15日

 

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▲(北海道・1513局/全国・1796局)②松江簡易郵便局

局番:95701 1949(昭和24)年12月1日開設

簡易局の出来はじめの開局。まだ昭和24年時点では簡易局は珍しいように思います。一部の農協・漁協併設の簡易局がその後昭和26年頃から増えていきます。

 

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▲(北海道・1514局/全国・1797局)③青苗郵便局

局番:95010 1904(明治37)年12月16日開設

奥尻の南端の集落。津波被害の激しかった地区で、一度何もなくなってしまったところに新しい住宅が建っており、パッと見、新興住宅地みたいな感じ。三陸などでも同じような光景見ます。切ないことですけど、あまり災害に目を向けすぎてもしょうがないです。地元の人も一時のことなど忘れたい面もあるでしょう。

 

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▲(北海道・1515局/全国・1798局)④奥尻郵便局

局番:95010 1886(明治19)年11月1日開設

奥尻の町の中心地。港の周りに出来た町。

 

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フェリーで江差に戻る。配送のトラックと一緒。

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▲(北海道・361局/全国・352局)⑤江差郵便局

局番:95010 1872(明治5)年11月1日開設

江差の町の中。

 

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▲(北海道・362局/全国・353局)⑥江差愛宕郵便局

局番:94038 1902(明治35)年12月1日開設

江差の北側の小さな郵便局。

 

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▲(北海道/全国・141局)⑦厚沢部郵便局

※俄虫→1960/9/1 旧称より変更

局番:95020 1891(明治24)年4月1日開設

 

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▲(北海道/全国・144局)⑧館郵便局

局番:94044 1904(明治37)年3月25日開設

函館戦争の遺跡が残る、小さな山村。本当は峠を越えると茂辺地が近いが長期間通行止めのまま。

 

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▲(北海道/全国・142局)⑨鶉郵便局

局番:94057 1922(大正11)年5月11日開設

内陸に入ると局の設置が新しいですね。

この辺の郵便局・郵便網は沿岸に沿っていたので、内陸の方への郵便局の展開は遅くなったみたいです。

 

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https://goo.gl/maps/iZ9bgY2zzTpSNKnG6

 

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後は札幌へ戻って終了。

2019.09.26 【道南】石倉~森~北斗

2年前、9月26日。札幌生活もそろそろ残り1ヶ月。

朝早く起きて、中山峠を超えて一路道南へ。念願の奥尻を目指します。

道すがら、風景印未収集の局が結構あるので寄り道しながらの旅。

 

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▲(北海道・512局/全国・545局)①野田生郵便局

局番:96004 1909(明治42)年3月26日開設

※1956年6月1日「野田追」より「野田生」に改称

隣の山越にかつて蝦夷地との境の関所があったそうです。ここを境に北側は日本人(和人)の居住(実際には奥さん・子供を伴っての居住)が禁止されており、行けるのは男のみ、北前船と北方警備にあたる武士、漁労の雇われ漁師だけだったようです。

この局がある八雲町は蝦夷地側。

 

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▲(北海道・515局/全国・548局)②石倉郵便局

局番:94055 1921(大正10)年2月16日開設

函館線の本石倉駅の裏手にひっそりあります。なんでこんな集落から離れてここにあるのか不思議です。駅は1944(昭和19)年に信号場として開設、1948年に仮乗降場に、1987年にJR化に伴い駅に昇格。来年春に利用者減少で廃止予定。

ともあれ局の方が駅より歴史が古く、廃止後も残りそうです。鉄道の設備を借りてここに移転してきたのか、郵便局の前に駅(信号場)が作られたのか?どちらなんでしょうね。郵便局には局長さんらしき方と若い女性の方がいらっしゃって、少しお話させていただきました。

※石倉には別に元から「石倉」という駅があってそちらは残ります。

 

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△局舎からはよく駅と海が見えました。

 

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▲(北海道・515局/全国・548局)③渡島濁川郵便局

局番:94082 1938(昭和13)年10月1日開設

石谷から奥へ入ったところにある「濁川温泉」の中。国内で数箇所の地熱発電が行われており、風景印にもなってます。

 

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▲(北海道・519局/全国・552局)④森郵便局

局番:94003 1872(明治5)年10月1日開設

森町の本局。北海道に開設された最初の郵便線路は函館からここまでが陸路、ここから室蘭までは海路になって再び室蘭街道沿いに札幌まででした。

ちなみに魚介類を冷凍して保管したのは森が発祥なのだそうです。取れた魚介をどうやって市場に運び出すかは、北海道においては超重要な問題です。

 

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▲(北海道・905局/全国・958局)⑤北斗郵便局

局番:94008 1872(明治5)年10月1日開設

ここも北海道の郵便局で最初からある局の一つみたいです。「上磯」局でしたが、2006年2月に平成の大合併で「北斗市」になった際に改称。

特急の北斗星あたりから取った名前だと思いますが、北海道にしては歴史的な地名でもアイヌ語地名でもなく、少し残念な命名。郵便局名は変えなくても良さそうですが、大野(→北斗北)ともども一斉に変更されてます。駅名はそのまま残ってます。

 

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▲(北海道・1070局/全国・1127局)⑥茂辺地郵便局

局番:94021 1874(明治7)年10月1日開設

茂辺地は入江のある小さな集落ですが、古くから重要な場所だったみたいで郵便局も古くからあるみたいです。これがまた集落内の奥まったところにひっそりあって、蝦夷地と違った歴史を感じる場所です。近くに津軽藩の古戦場などもあります。

 

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https://goo.gl/maps/b72AhVkeNDWUN7sw6

この後は江差へ行き、船で奥尻に渡りました。

【つぶやき】廃線済の特定地方交通線のこと

国鉄完乗に憧れた頃はまだ赤字ローカル線がたくさん営業中でした。

その後廃止された路線は、JR完乗後もいつか沿線を旅したいと思ってました。

しかしあっというまに時間は過ぎて・・。心の内なる鉄道完乗リストに入れてあるのですが、まとめてみました。

 

地方交通線

日中線 喜多方~熱塩

赤谷線 新発田~東赤谷

魚沼線 来迎時~西小千谷

清水港線 清水~三保

黒石線 川部~黒石

高砂加古川高砂

宮原線 恵良~肥後小国

妻線 佐土原~杉安

倉吉線 倉吉~山守

勝田線 吉塚筑前勝田

添田線 香春~添田

矢部線 羽犬塚~黒木

漆生線 下鴨生~下山田

宮之城線 川内~薩摩大口

大隅志布志~国分

佐賀線 佐賀~瀬高

志布志線 西都城志布志

山野線 水俣~粟野

上山田線 飯塚~豊前川崎

宮田線 勝野~筑前宮田

 

(それ以外の部分廃止)

福知山線 尼崎港~塚口

播但線 飾磨港~姫路

内子線 五郎~新谷

筑肥線 博多~姪浜

 

(私鉄)

南海平野線 今池~平野

加悦鉄道 丹後山田~加悦

西日本鉄道 門司~黒崎駅

鹿児島交通 伊集院~枕崎

 

結構あるなあ。

何を持って訪問したとするか。局めぐり?沿線の道路を走る?代行バス乗る?

バスはもう廃止になってるところがあるので中途半端だし。

ただ既報でも再訪したいところがたくさんあるから、どっちをとるか。結局全部はまわれずに終わりそう。

北見枝幸駅跡の一級食堂のこと

北見枝幸駅前に残る一級食堂のこと。2015年11月13日訪問。

ここへ来てたのは興浜北(こうひんほく)線。

1936年7月11日開業、戦時中不要不急として休止されるも戦後すぐに復旧。

国鉄の第一次特定地方交通線に指定され、1985年6月30日廃止。

この路線は、いつか日本中の鉄道路線に乗ろうと思っていたときに知った路線。私の完乗リストにはこういう路線もこっそり含めています。

 

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駅前の一級食堂。ただの古ぼけた食堂だと思ってたのですが、鉄道旅行作家の宮脇俊三の「旅の終わりは個室寝台車」を読んでたら、ここが登場。

写真だけ別の場所に載せましたが、文章と一緒に纏めておきます。

その薄らいだ流氷の海に低い岬が突き出し、無線塔や煙突が立っている。近づくにつれて倉庫やビルも見えてきた。枝幸町である。人口一万人たらずの町だが、大都会に見える。

一時間ぶりに信号機が現われて町の中に入り、15時40分、バスターミナルに着いた。時刻表より5分早い。

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枝幸のバスターミナルは国鉄北見枝幸駅と離れていて、歩いて一〇分ばかりかかる。最近は国鉄駅を相手にしないバス会社が増えてきた。

青年たちといっしょに駅へ向かう。道端には残雪がうず高いが、さして寒くない。興浜北線は一日六往復で、こんどの発車は16時17分である。

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バスターミナルのある町の中心部も、あまり賑やかではなかったが、町はずれにある駅前広場はひっそりとしていた。しかし嬉しいことに小さな食堂が二軒あった。「駅前食堂」と「一級食堂」。

汽車やバスの窓から流氷を眺め、居眠りをしていても腹だけは空く。ふだんよりもかえって空く。私たちは「一級食堂」に入ってラーメンを注文した。あと一回、稚内での本格的夕食が残っている。

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食堂を出ると、木造平屋の駅舎を背景にして青年たちが写真を撮り合っていて、その一人が私に向かって、

「今日は、ここでお別れします」

と言う。この青年も周遊券と夜行列車を利用してぐるぐる回っている一人である。たしか雄武のバス停で立ち話をしたときは、まっすぐ稚内へ行くと言っていたはずだが、気が変わったらしい。

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「バスで降りてここに来る途中に風呂屋がありましたでしょう。ひと風呂浴びてから、つぎの列車で行くことにしました」

「そうすると、稚内から夜行の『利尻』に乗れなくなるんじゃないの」

「ええ。でも、稚内から幌延行の終列車がありますから、それで行って幌延の待合室で寝ます」

青年は事もなげにそう言ってから、私に、

稚内からは『利尻』ですか」

と訊ねた。

「いや、旅館に泊まるつもり」

「はーあ」と青年の語尾が上がり、別世界の人間を見るような眼をした。

宮脇俊三「旅の終わりは個室寝台車」~「乗りつぎ乗りかえ流氷の海」より

 

この文章の旅は1983年3月。宮脇氏が50代半ば。今読むと色々共感できることもあります。ここにはないですが、北国の描写とそこで生きている人へのやさしいまなざしが中々いいなあと思います。

 

 

2019.09.25 上芦別草笛へ

北海道空知の芦別にあった、上芦別草笛簡易局。

2017年に一度5ヶ月ほど休止したあとに復活していたが、2019年9月末で再度一時休止になりました。今度は受託者さんが契約解除とのこと。

 

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△2019年9月25日

 

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△2020年10月14日(一時閉鎖後)

「草笛」というありそうでない局名(地名)で結構お気に入りな局名でした。

局自体は2020年5月1日付けで移転改称し再開してます。

 

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局の周りにはガタタンで有名な宝来軒さんもあって、町の中心でした。

しかし芦別も炭鉱町で他に産業もなく、年々変わっていきました。10年前はそれなりに活気がありましたが、目に見えるように人が減っていきました。寂しいけど、度々訪問できてよかったと思います。

炭鉱町は他所から定期的に炭鉱夫を向かいいれていた歴史があるので、よそのものウェルカムです。気さくで偉ぶった人はあまり見なかったな。ガタタンもおいしかった。

ガタタンは元々満州帰りの人が持込んだらしく、いずれは現地のオリジナルの料理も一度食してみたいなあ。

 

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これは道の駅のガタタンチャーハン。

2019.09.17 恵庭の風景印

2年前の9月。恵庭市内で風景印全局設置を記念して、スタンプラリーがありました。

スタンプ用の台紙があって、それに全部押してもらうとクリアファイルが貰えました。

 

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すでに市内の風景印集めおわったあとだったので、結局やりませんでした。

あまりその気にならなかったというのが正直なところ。元々名刺カードに押して集めているので、バラバラになってしまうというのもありました。

 

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結局恵庭の風景印を貰っただけで帰宅しました。

帰りは札幌ターミナル~千歳駅前の急行バスでした。