郵便局めぐり(風景印と旅行貯金と旧線路情報)

郵便局と駅・廃線跡めぐり旅の記録です

北見枝幸駅跡の一級食堂のこと

北見枝幸駅前に残る一級食堂のこと。2015年11月13日訪問。

ここへ来てたのは興浜北(こうひんほく)線。

1936年7月11日開業、戦時中不要不急として休止されるも戦後すぐに復旧。

国鉄の第一次特定地方交通線に指定され、1985年6月30日廃止。

この路線は、いつか日本中の鉄道路線に乗ろうと思っていたときに知った路線。私の完乗リストにはこういう路線もこっそり含めています。

 

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駅前の一級食堂。ただの古ぼけた食堂だと思ってたのですが、鉄道旅行作家の宮脇俊三の「旅の終わりは個室寝台車」を読んでたら、ここが登場。

写真だけ別の場所に載せましたが、文章と一緒に纏めておきます。

その薄らいだ流氷の海に低い岬が突き出し、無線塔や煙突が立っている。近づくにつれて倉庫やビルも見えてきた。枝幸町である。人口一万人たらずの町だが、大都会に見える。

一時間ぶりに信号機が現われて町の中に入り、15時40分、バスターミナルに着いた。時刻表より5分早い。

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枝幸のバスターミナルは国鉄北見枝幸駅と離れていて、歩いて一〇分ばかりかかる。最近は国鉄駅を相手にしないバス会社が増えてきた。

青年たちといっしょに駅へ向かう。道端には残雪がうず高いが、さして寒くない。興浜北線は一日六往復で、こんどの発車は16時17分である。

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バスターミナルのある町の中心部も、あまり賑やかではなかったが、町はずれにある駅前広場はひっそりとしていた。しかし嬉しいことに小さな食堂が二軒あった。「駅前食堂」と「一級食堂」。

汽車やバスの窓から流氷を眺め、居眠りをしていても腹だけは空く。ふだんよりもかえって空く。私たちは「一級食堂」に入ってラーメンを注文した。あと一回、稚内での本格的夕食が残っている。

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食堂を出ると、木造平屋の駅舎を背景にして青年たちが写真を撮り合っていて、その一人が私に向かって、

「今日は、ここでお別れします」

と言う。この青年も周遊券と夜行列車を利用してぐるぐる回っている一人である。たしか雄武のバス停で立ち話をしたときは、まっすぐ稚内へ行くと言っていたはずだが、気が変わったらしい。

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「バスで降りてここに来る途中に風呂屋がありましたでしょう。ひと風呂浴びてから、つぎの列車で行くことにしました」

「そうすると、稚内から夜行の『利尻』に乗れなくなるんじゃないの」

「ええ。でも、稚内から幌延行の終列車がありますから、それで行って幌延の待合室で寝ます」

青年は事もなげにそう言ってから、私に、

稚内からは『利尻』ですか」

と訊ねた。

「いや、旅館に泊まるつもり」

「はーあ」と青年の語尾が上がり、別世界の人間を見るような眼をした。

宮脇俊三「旅の終わりは個室寝台車」~「乗りつぎ乗りかえ流氷の海」より

 

この文章の旅は1983年3月。宮脇氏が50代半ば。今読むと色々共感できることもあります。ここにはないですが、北国の描写とそこで生きている人へのやさしいまなざしが中々いいなあと思います。