船の出港は19:45だが、18時から乗船可能。
18時半からレストランの営業、大浴場も利用できる。
ありがたいのだが、3日間の心労が募ってベッドに入るなり眠り込んでしまった。
21時頃一度めざめるが、ものすごいゆれ。台風がまた来ているのだった。
まだ南方海上のはずだが、千葉・茨城沖の海域はもともと波が高くて
江戸期の廻船でも、一番最後に開かれた航路。
その厳しさを身をもって知ることになるとは。
波が荒いことと避難港になる良港が少ない。
また日本海側は風に流されても国内のどこかに漂着できるが、太平洋側は
うっかり黒潮に乗ってしまうとどんどん太平洋の真ん中に流されて遭難してしまう。
銚子沖の太平洋上には「三角波」というたちの悪い大波がたつのでこれで船が破壊されることもあり
2重3重に危ない。
しかし仙台伊達藩が宮城の米の移出ルートとして整備した。
その末裔がこの大洗フェリーってことになるんでしょうか。
その揺れのせいで睡眠と覚醒の間をしばしさ迷っていたのですが、
気がつくと随分揺れがおさまっていた。朝5時頃。
おき上がって、船内を歩いてみた。
船内はまだ静かだった。
外に出てみると、以外に近いところに陸地が見えた。最初は目の錯覚と思ったが、三陸海岸だ。
三陸はいつ行っても(震災のずっと前からです)少し暗い影のようなものを感じるのだが
このときもやはりそうであった。海から見てもその印象は変わらない。
不気味で、暗い海に飲まれてしまいそうだ。
右舷、太平洋側を見渡すと、同じ北海道の方角を目指す貨物船の影。
この航路はフェリーだけのものではないようだ。
この船の巡航速度は24ノット、時速45キロ程度。
風呂に入りたいのだが、朝は6時半から。
タオルの持参がなく、売店で買えるがこちらの7時からだった。
しばらくこの辺ぶらぶらして時間を潰した。