2011年の1月は、もう一度帰省した。正月、あまりゆっくりできなかったから。
オフシーズンだと飛行機も安かったので、どこへ行っても雪ばかりなので。
そのついてで茨城の牛久近辺をぶらぶらと。懐かしい空気を味わう。
▲240. 東文間郵便局
北相馬郡利根町。千葉県印西から橋を渡ったところで、付近は一面の水田。
茨城の郵便局は、生活感が濃厚に感じられる。
この道は牛久から川崎の実家に戻るときに近道として使ったり、
少し遠いのだが千葉ニュータウンの方に映画を見に行ったりするのに通った道。
越した頃(2005年)は茨城はあまりシネコンがなかったが、
つくばエクスプレスが通ってあっという間に便利になっていった。
今思えば、関東は本当に時が流れるのも、環境が変わってしまうのも本当に早い。
自分にとっては早すぎて、気分が悪くなることさえあった。
景色や環境は長い時間かけてそうなっているものなのに
それを変化させるという行為に対して、きちんと考慮した結果に感じられないことが多い。
そのためか、時とともに変わらないものへの憧れがあって、
旅や、遠い土地への思いになっている。
多くの状況を見ていけば、いつか理想に近づけると、あの頃は思っていた。
▲241. 牛久みどり野郵便局
前住んでいた場所の近く。
牛久の住宅地、常磐線の線路の東側で、南より。
5年ほどいた、ということになるが、ここで寝ていただけのこと。
そんなことでも、実家をでて初めてのことだったので、いろんなことを思ったり考えたりした。
世間的にはおっさんが一人で住んでいた、なんだろう、って感じだろう。
それでも最後の日、近くのやきとり屋のおばさん・おばさんがいつもどおりに親切にしてくれたりして
それが本当にうれしかった。自分にとってはいい時間だった。
好き勝手していただけのことだが。
この日は2局だけで終了。
(おまけ)牛久女化(おなばけ)神社
牛久市と龍ヶ崎市の境目にある。この辺は女化原と言って、女に化ける狐が出たという謂れがある。
特に大晦日の深夜からは、二年参りが大盛り上がりしていた。
冬の日は毎日そらがすっきりと青くて本当に気持ちがよかった。
本当はもっと北の日立やいわきの方に行って
食べそびれていたあんこう鍋を食べたく、そのためにそっちへ向かったが時間がなく断念。
この後、あの地震が来た。
虫の知らせってやつかもしれない。