郵便局めぐり(風景印と旅行貯金と旧線路情報)

郵便局と駅・廃線跡めぐり旅の記録です

2010.10.18 道北・豊富近辺

2010/10/18の後半。稚内市街から南~東側へと進みました。

宗谷線沿いから旧・天北線沿いへ。

 

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▲(北海道・198局/全国・203局)勇知郵便局

局番:99088 1927(昭和2)年3月1日開設

勇知駅は天塩北線として1924年6月開業。1926年に天塩南線と繋がって1930年に宗谷本線に編入なったようです。駅ができて人が住むようになったパターンでしょうか。

風景印頼んだら切手の向きと逆になってしまい、お詫びとしてリシリヒナゲシとオクシリエビネのはがきをいただきました。好きな絵だったので、却って大感激。

風景印:利尻富士ハマナス、エゾカンゾウ

 

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▲(北海道・199局/全国・204局)兜沼(かぶとぬま)郵便局

局番:98037 1918(大正7)年6月1日開設

小さな集落ですが、豊富町で最初に人が定住したところ。

同じ名前の沼が駅の裏手にあります。豊富町天塩郡で旧天塩国稚内旧国名では北見国なので、局番も98~(天塩)、99~(宗谷・オホーツク)。豊富町は1948年までは留萌支庁でしたが、今は宗谷振興局(旧支庁)。お隣の幌延町も2010年に同じく留萌から宗谷へ移ってます。

風景印:利尻山と兜沼と言問の松

 

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▲(北海道・200局/全国・205局)沼川郵便局

局番:99084 1923(大正14)年12月1日開設

こちらは廃止された天北線沿い。元・宗谷本線で最初に稚内まで繋がった路線(1922年全通)ですが、1930年に天塩線が開通してローカル線に。僅か8年間だけのメインルートでしたが、1989年の廃線まで1往復の急行が設定され、稚内へのルートとして機能してました。郵便局は集配局。

風景印:樺岡大規模草地のサイロと牛、北辰ダム

 

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▲(北海道・201局/全国・206局)声問(こえとい)郵便局

局番:99023 1901(明治34)年3月20日開設

天北線が山間から海辺に出るところで、稚内空港が近くにあります。一度発着便に乗りたいなあ。東京の喧騒から2時間ほどで北海道のど真ん中ですし、鉄道やクルマからは見れない景色が見れますし。

風景印:稚内空港展望台からの景色、空港、水芭蕉

 

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▲(北海道・202局/全国・207局)稚内曲渕(まがりぶち)簡易郵便局

局番:99806 2006(平成18)年4月17日開設

※曲渕郵便局(99142):1942(昭和17)年12月16日~2006(平成18)年3月25日

※廃止後簡易局「曲渕簡易」:2006/4/17開設→7/1「稚内曲渕簡易」へ改称

頭に「稚内」をつけた理由が少し気になります。クレーム?
今気付きましたが、駅は「まがりふち(曲淵)」、郵便局と地名は「まがりぶち(曲渕)」みたいです。近くの雄信内も駅は「おのっぷない」、局は「おのぶない」(地名はオヌプナイ)。難しい・・。

 

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▲(北海道・203局/全国・208局)小石簡易郵便局

局番:99711 1951(昭和26)年11月1日開設

ここも天北線沿いで、小石~曲淵間は途中に信号場のない駅間としては当時国鉄最長だったかと(17.7km)。行ってみたら、これは途中に駅はつくらないな、という何もないところでした。この当時は天北線代行バスがありましたが需要がないのか数年後に宗谷岬経由に変更され静かな山道になってます。

この区間、一度バスで乗りたいな、と思っていたのですが。

昭和26年開設とは、簡易局としては一期生ではないでしょうか。

 

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▲(北海道・204局/全国・209局)鬼志別郵便局

局番:99079 1923(大正12)年1月26日開設

猿払村の中心地です。鬼志別は昔は急行停車駅。ここは内陸ですが、沿岸部ではホタテ養殖がさかんで今は北海道で一番収入があるそうです。見た感じ豪邸が建ってるということはないです。個人経営だから見た目の収入が大きいだけなのかもしれないですが。

風景印:風雪の塔、流氷、ホタテ

 

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天北線駅名標だけがぽつんと残ってます。

この日は一度稚内に戻って、次の日も周辺を局めぐりしました。

2010.10.18 秋の道北・稚内

10年前くらいの、昔の旅の記録、さらに続けます。

思い出話ばかりで恐縮ですが、10年近く住んでみた今、振り返ってみると気が付くことが結構あるのです。今度は秋の稚内

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▲(北海道・193局/全国・198局)稚内郵便局

局番:99002 1876(明治9)年1月25日開設

北辺の地、稚内へ郵便が来たのは1876年。札幌に遅れること4年。なお局番号が稚内は99~ですが、99001は網走、99002が稚内。明治の最初の時点では網走~宗谷まで同じ地域って感覚だったんでしょう。

風景印:図案が変わってて二種あります。どちらも北防波堤ドームと百年記念塔。昔のは南極探検隊の犬、タロとジロが入ってました。

 

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▲(北海道・194局/全国・199局)稚内宝来郵便局

局番:99145 1944(昭和19)年2月21日開設

稚内駅から西側の突端、ノシャップ岬へ行く途中にあります。

 

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▲(北海道・195局/全国・200局)稚内恵比寿簡易郵便局

局番:99751 1972(昭和47)年3月31日開設 ※2019/3/1~一時閉鎖中

ノシャップ岬の最寄局でしたが閉鎖中。来る2021/5/6に「稚内ノシャップ簡易

」として再開予定(移転)。記念すべき200局目。

 

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▲(北海道・196局/全国・201局)稚内富士見簡易郵便局

局番:99747 1968(昭和43)年6月16日開設(※2020/10/31~一時閉鎖)

ノシャップ岬を回りこんだ先の集落にありました。今は一時休止中。

 

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▲(北海道・197局/全国・202局)抜海郵便局

局番:99027 1902(明治35)年12月1日開設 

稚内の市街に入る前の小さな集落。JRでくるとこの辺で眼前に利尻が広がります。

続きます。

2011.05.02 万字~夕張

5月2日、ゴールデンウィークの局めぐり。

北海道はまだ桜が咲いたばかりで、冷たい雨が降る中での探索でした。例年北海道はこんな感じでした。なので桜をのんびり愛でる習慣はあまりないみたいです。

万字線沿線から次は夕張へ。

 

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▲(北海道・261局/全国・270局)継立(つぎたて)郵便局

局番:90176 1922(大正11)年6月1日開設

栗山町。夕張への峠越えを控えた町。地名は物資を継立てた場所という意味なんでしょうか。北海道は、それは一般名詞では?と突っ込みたくなる地名も多いです。なお昭和50年に廃止された夕張鉄道の継立駅は現存してる模様。しらなかった・・。

風景印:国蝶オオムラサキと不動の滝と坂本九想い出記念館

 

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▲(北海道・262局/全国・271局)鹿ノ谷郵便局

局番:90157 1915(大正4)年9月26日開設

トンネルを抜けて夕張の市街。鹿ノ谷は夕張鉄道も来ていたところで、駅の構内が広いです。

風景印:石炭博物館、夕張メロン、東山聖苑、夕張岳

 

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▲(北海道・265局/全国・274局)若菜郵便局

局番:90270 1939(昭和14)年12月6日開設

札幌からの道道2号線(札夕線)と夕張のメインストリートがクロスするところで、夕鉄バスの本社ターミナルがあります。

風景印:夕張岳、平和運動公園、サッカーボール、市木:サクラ、夕張メロン

 

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▲(北海道・263局/全国・272局)夕張郵便局

局番:90027 1891(明治24)年5月1日開設

夕張の中心は一番奥の方ですが、行止まりなので今は寂れてます。夕張市コンパクトシティ化で、町を南清水沢にまとめるとか。郵便局もいずれ移転するのかな。開設が明治24年とは随分古いですね。なお局は鹿ノ谷~夕張の間。ちなみに鉄道駅の開設は1892年11月1日。北海道は沿岸部から開発されていくので、内陸に人が到達するまでは少し時間がかかってます。

風景印:夕張岳、高山植物・ユウバリコザクラ、夕張メロン

 

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▲(北海道・264局/全国・273局)夕張本町郵便局

局番:90284 1940(昭和15)年12月11日開設

※1982年8月16日「新夕張」より改称

今は市内で一番奥にある郵便局。ホテルシューパロが近くにありましたが廃業してしまったので、これからどうなるんでしょうか。もっと寂しくなってしまうのか。 

夕張鉄道の終点が「夕張本町」だったのでそれでこの名前なのかと思いましたが、意外にも1982年までは「新夕張」局でした。国鉄夕張駅は昔はもっと奥にあり、その辺に「夕張福住」局があったようです(廃止済み)。

風景印:メロンの外枠、メロン城、マスコット「ゆうちゃん」、夕張岳

この日は以上。

 

2011.05.02 志文~万字(国鉄万字線沿い)

10年前の5月2日。旧・国鉄万字線沿いの郵便局へ。

札幌に来てから1年経つが未訪問のままでした。理由は比較的近場で、せっかく北海道にいるんだからと道東・道北へ目が向きがちだったことと、万字駅の近くに「お菊人形」が安置される万念寺があり敬遠してました。話の真偽はともかく、確かにそんな話が伝わるのも無理はないと思える、少し物さびしい旧炭鉱町でした。

 

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▲(北海道・254局/全国・263局)岩見沢志文(しぶん)郵便局

局番:97042 1903(明治36)年12月10日開設

室蘭線沿い、開設古いです。志文駅は1902年8月開設なのでほぼその直後に設置されてます。この地域の重要性の表れでしょう。今は岩見沢市内の地味な郵便局。風景印もありません。というか万字線沿いは風景印は全局未配備。

局名は1980年11月4日「志文」より改称されてます。

 

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▲(北海道・255局/全国・264局)岩見沢くぴど簡易郵便局

局番:97774 1979(昭和54)年5月12日開設

福祉施設「クピドフェア」に併設の簡易局。重度の障害をお持ちの方の施設。このタイプの局はこの時初めてで少しびっくりしましたが、閉ざされた環境でこそ郵便は大事なものなんでしょうね。療養系病院に併設の局は全国には結構あるみたいです。

※1996年9月17日「岩見沢緑成園前簡易」より改称。

 

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▲(北海道・256局/全国・265局)茂世丑(もせうし)郵便局

局番:97098 1929(昭和4)年7月11日開設

旧・栗沢町の山沿いの道々沿いにあります。目の前の道は旧道みたいです。

質素な自分の好きなタイプの局舎。今は耐震補強されました。私が行った時は海外系の切手(ロシアとかチェコとか)がたくさん在庫があって面白かった。

 

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▲(北海道・257局/全国・266局)上志文郵便局

局番:97069 1902(明治35)年12月1日開設

ここから万字線沿いの旅。万字線は1914年の開通なので、以外にも鉄道より歴史ある郵便局みたいです。旧駅の目の前に今も市民スキー場があって、学校の授業が行われてたりするみたいです。万字線は1985年3月末で廃止。

 

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▲(北海道・258局/全国・267局)岩見沢朝日簡易郵便局

局番:97773 1977(昭和52)年12月12日開設

朝日駅のあった付近で、今もこの地区では大き目の病院がある。

市の出張所が兼務していて中に地区の人口数の増減がかかれてますが、ものすごく減少しているのが判ります。

 

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▲(北海道・258局/全国・267局)美流渡(みると)郵便局

局番:97074 1919(大正8)年5月1日開設

万字線沿線で一番大きな集落。炭鉱があったところで、専用線が分岐するほどだったみたいですがこの地区の炭鉱は昭和40年代の再編期に「スクラップ鉱」になったようで、衰退が早かったみたいです(夕張や芦別とかの優良鉱だけ残しましたが、海外との激しい競争で無理な操業をして大事故が多発した黒歴史があります)。

 

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▲(北海道・259局/全国・268局)万字仲町簡易郵便局

局番:97746 1965(昭和40)年3月30日開設

万字線万字駅の廃駅舎をそのまま使ってます。目の前にはお菊人形の万念寺。

万字線の終点はこの先の万字炭山、そちらの方に万字郵便局もありましたが、1989年3月末に廃止。1910(明治43)年の開局だったようです。

このエリアは炭鉱としてかなり早くから開発されてたんですね。

万字線沿いはここまで。一旦栗山の方へ出て夕張方面へ。

2011.05.17 空知・赤平市内

1日づつ日にちが前に戻ってます。10年前、5月17日。

道東へ向かう途中で、赤平市内へ立ち寄り。

 

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茂尻駅前の桜。北海道で桜見て最初に印象に残った場所でした。

 

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▲(北海道・291局/全国・300局)文京簡易郵便局

局番:97729 1963(昭和38)年6月1日開設

比較的古い開局の簡易局。首都圏の郊外の街よりこの辺の方が町としては古いと思います。エネルギー革命によって大きな変貌を余儀なくされた町の一つです。赤平では簡易局はここだけです。炭鉱町はかつて人口が多かったせいか、ほとんどが普通局(旧・特定局)で今も残ってます。

 

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▲(北海道・292局/全国・301局)赤平西郵便局

局番:97153 1941(昭和16)年12月6日開設

 

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▲(北海道・293局/全国・302局)赤平郵便局

局番:97066 1915(大正4)年9月11日開設

赤平の本局です。国道38号沿い。

風景印:777段のズリ山階段、虹かけ橋

 

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▲(北海道・294局/全国・303局)赤平泉町郵便局

局番:97167 1944(昭和19)年2月1日開設 ※1983年12月5日「赤平北」より改称

戦争中の真っ只中の開局。それだけ炭鉱は重要だったんでしょう。

 

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▲(北海道・295局/全国・304局)赤平東郵便局

局番:97166 1943(昭和18)年11月11日開設

ここは住友系の炭鉱だったようで、関連の団地の中。

 

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▲(北海道・296局/全国・305局)茂尻郵便局

局番:97077 1920(大正9)年10月1日開設

同じ赤平市ですが、赤平とは独立した市街地の茂尻。くしの歯がかけたような市街地に立派な局舎。かつては集配局だったんだろう。こういう郵便局を見ると、最盛期はどんな様子の街だったんだろうと強い興味を覚えます。

風景印:エルム森林公園、翆光苑

この日は十勝に泊まるので時間切れ。局めぐりは終了。

【つぶやき】札幌市内の局めぐりのこと

2013年5月、札幌3年目に札幌市内の局めぐりを本格スタート。どうにもお金のない時期で、かといって出かけないでいられない旅好きの私。市内を歩くのなら殆どお金かからないことに気が付いたのでした。

最初は後ろ向きな理由で始めたのですが、これものすごく楽しかったです。花、草木、青い空、遠くの山。お金はないけど時間だけは有り余ってました。

 

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北の花って、あの寒い季節を乗越えて咲いているので、きれいなだけでなくその中に力強さを秘めてると思うのです。これはもしお金があってどこへでもクルマ、タクシーで移動していたら感じ取る事はなかっただろうなあ。

 

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ともかく歩き続けてました。買った靴は1ヶ月で穴が開き、ひと夏で3足はき潰しました。歩くことで体力が付いたしお金使わない習慣も出来ていいことづくめでした。まあ札幌だからできたことで、関東だったら熱中症とかでおかしなことになってたかも。

また折を見て、この頃の局めぐりをまとめなおそうと思ってます。当時感じてたことなども、今のうち残しておきたいし。

今日は簡単になりますが、こんなところで。

2011.05.18 北見近辺~阿寒②

10年前の旅行記、続き。北見から津別~阿寒と進みました。

美幌~北見相生を結んだ相生線は乗車は叶いませんでしたが、ずっと乗りたかった路線の一つでした。

 

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▲(北海道・303局/全国・312局)上常呂郵便局

局番:99071 1920(大正9)年7月6日開設

北見市街のすこし手前の集落。ふるさと銀河線の上常呂駅は1911年開業でしたので、9年遅れて郵便局開設。以前は製糖工場があって引込線もあった模様。

ここも10年前に訪問したきりで、ほとんど印象に残ってません。

風景印:金刀比羅山、桜、平家蛍

 

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▲(北海道・304局/全国・313局)北見北光郵便局

局番:99168 1989(平成元)年11月27日開設

意外と新しい局。ふるさと銀河線の北光社駅が近くにあった。

風景印:北光開拓記念碑、稲

 

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移民団体、北光社についての説明書。

 

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▲(北海道・305局/全国・314局)津別郵便局

局番:99044 1912(大正元)年8月1日開設

北見からは東に向かい、阿寒への入口の津別へ。

相生線の沿線で一番大きな町でした。相生線は1923年の開通なので、それより9年ほど早かったみたいです。この辺は四国からの入植者が多かったみたいで、正月には今でもアンコいりお雑煮を食べたりするみたいです。

風景印:津別峠から見た屈斜路湖、展望台、風力発電の風車

 

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津別局の隣のそば店。桜がきれいでした。

 

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▲(北海道・306局/全国・315局)本岐郵便局

局番:99065 1919(大正8)年5月1日開設

ここも相生線沿い。相生線の津別~北見相生は1913年の開業。

本岐は元々「ポンキキン(翻木禽)」と言ったそうですが、いいにくいのでこの名前になったっぽいです。陸別の方へ続く谷と阿寒への谷がここで合流。

風景印:チミケップ湖と大一文字蝶

 

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▲(北海道・307局/全国・316局)北見相生郵便局

局番:99124 1938(昭和13)年11月21日開設

夕方になり日が翳ると随分寒く、郵便局ではストーブを焚いてました。夏でも寒いとストーブつけると話に聞きましたが、実際に見たのはこのときが始めてでした。今考えれば5月の北海道だものね、と思います。
風景印:釧北峠から樹海を隔てて見た雄阿寒岳

 

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△北見相生駅(廃止) 駅の跡が公園になってそのまま残ってます。

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▲(北海道・308局/全国・317局)阿寒湖郵便局

局番:92047 1935(昭和10)年8月6日開設

阿寒湖温泉のある集落にありました。アイヌの集落があります。

風景印:雄阿寒岳、阿寒湖とマリモ

 

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